●下を向いて歩いてもいい。お金を拾うこともある。
●告白は、クレーム処理より気が楽である。
●好きな人の心に一生の指定席をもらえる方法。好きと伝えること。
●考えるだけでも、前進。
●高い壁はひとりの力では登れない。
●ワンパクでもいい。たくましく育って欲しい。
●人生は分かれ道の連続。どの道を選んでも、失敗ではない。すべてが経験。
●結婚相手の最低条件は、一緒に泣ける人。
●親友とは一生涯、片想いできる友達のこと。
●10年後、フラれたことが武器になる。
●恋人はサンタクロース。背の高いサンタクロース。
●好きになれたことを感謝しよう。この気持ちは絶対に伝わる。
●100回連続でフラれても、101回目で成功することがある。
●成功とは、他人の評価。
●努力に勝る力なし。
●成功がゴールなら、失敗は寄り道。
●人生はすごろくだ。時折、ふりだしに戻れるチャンスがある。
●何事も言葉にしないと伝わらない。
●(-2)×(-2)=4 マイナスだってプラスになれる道はある。
●どんなに優れた人でも、うんちは臭い。
●上司だって、エロいことを考えている。君と同じだ。
●1日2時間だけ本気で頑張れ。
●ほとんどの悩みは、後日の笑い話。
●どの道も歩いてるときは、回り道に感じるもの。
●1番だと思うことが、1番になる近道。
●夢こそ現実。覚醒してるときは荒行。
●今はフラれてもいい。10年後のために、愛の告白をしなさい。
●才能は磨くもの。
●寄り道が人生を豊かにする。
●迷ったら立ち止まること。
●泣きたくなったら、泣くこと。
●愛情がなければ友情は生まれない。
●運は運。
●人生の半分は睡眠。所詮、人はナマケモノです。
●人は生まれながらにして不平等です。
●恋は焦がれるもの、愛は語るもの。
●恋は盲目とは、好きな人のオナラが薔薇の香りに感じること。
●射精後の愛の言葉は、本物。
●愛を表現すればするほど、変態行為になる。
●朝にラブレターを読み返してはいけない。
●10年後の再会のために、告白をしよう。
●好きと言ってくれた人を、嫌いになることはない。
●告白への原動力は、性欲が90%。
●恋に落ちた相手がいるだけで、その恋は叶っている。
●誘いたい人がいたら誘う。誘われた方が考えればいい。
●恋は常に主観。相手に「恋すること」を求めてはいけない。
●奇跡は起こすもの。起きるものではない。
●出来合いの惣菜でも、お皿に移し変えれば手作りである。
●恋人の趣味を悪趣味と感じたら、恋の終わり。
●答えがわからなければ、わかる人に聞けば良い。
●人生は登山ではない。下山だ。
●チョコのお返しはマシュマロ。
●できないものは、できない。
●5+5、2×5……10になるための道は、たくさんある。
●最初は誰でも素人。


哲学者ジャン・ピエール・ケ・ザボンの言葉たち。

疲れているあなたへ。

歴史ミステリー。

歴史好き、ミステリー好きのみならず、
ドキドキワクワクしてしまう魅惑物です。

例えば、

本能寺の変の黒幕は誰なのか?
浮世絵師東洲斎写楽は誰なのか?
坂本竜馬は実在したのか?

などなど。

枚挙に暇がございません。


しかしながら、

どの問題も正解は
藪の中だと思っています。

なぜなら、
過去には戻れないから。

歴史を紐解く上で
根拠となるのは、歴史書です。

それも
公に認められた史書から
落書きレベルの私書まで、膨大にある。

その中から
自分の説に都合の良いものを選定して

「これが答えだ!」

とやるのが、
歴史ミステリーの醍醐味。

ちなみに、
公文書(正史)としての歴史書は、
時代の支配者が書かせているものだと
認識しています。

だから、

支配者にとって
都合の悪いことは書かない。


近年でも同じです。
諸外国をみても一目瞭然。


歴史は歪んでいる。

それが
歴史だと思っています。


そこで

歴史ミステリーを
色んなご意見を寄せ集めて
勝手に結論付けちゃう

という新企画を立ち上げます。


第一回目は
「邪馬台国はどこにあるのか」


卑弥呼さんが
治めていた国でございます。

有名なミステリー。

九州説や近畿説。
沖縄説にムー大陸説。

色々と激論が交わされております。


ひとまず、

基本的な時代背景の確認を致します。

当時、中国王朝から
日本は「倭国」と呼ばれており、

今で言う「日本・ジャパン」というような
正式な国名はなかった。


ちなみに、
その頃、勢力を持っていた国内団体の名前は、
「ヤマト」。

で、

外交をするのに不便ということもあり、
中国の指導および
中国漢字文化の影響を受けて
「倭」と書いて、「ヤマト」と当て字を
した国名が誕生しました。


そして国名を、
「倭(ヤマト)」から「日本」へと改名。

読みは「ヤマト」です。

この時期、日本(ヤマト)朝廷があった場所は、
九州でございます。

九州を基点として、
関西、関東と勢力を伸ばしていきます。

しかしながら、

日本(ヤマト)朝廷は
全国を統一している勢力ではなかった。

東北を中心とする一大勢力
「日本」。

「ひのもと」と読みます。


これがややこしい。
日本の中に
「日本」という漢字を書く国がふたつあった。

後の歴史書には
「日本」という記載しか残らない。

だから、
何百年もたてば、混同してしまう。


当時の日本は、
「日本(ヤマト)」と「日本(ひのもと)」の
争いが勃発していたと推測します。

さて、
その時代背景を背負いながら、
邪馬台国でございます。

邪馬台国の記述は、
中国の文献「魏志倭人伝」が由来です。

場所についても、
「魏志倭人伝」に詳細が書かれています。

当時の中国と国交があったのは、
「日本(ヤマト)朝廷」です。

その本拠地は九州。

邪馬台国というのは、
「日本(ヤマト)朝廷」の一部で
あったと解釈を致します。

今で言う、
「県」という位置づけ。

ということは、
卑弥呼は、県知事でございます。

そして、
魏志倭人伝の記述をそのまま解釈すると、
邪馬台国の場所は
「鹿児島県阿久根市」となる。

日本(ヤマト)朝廷の
本拠地である九州。

さらに、
中国との距離が近い鹿児島県。

邪馬台国とは、
日本(ヤマト)朝廷の外交拠点で
あったと見ます。

ということは、

卑弥呼は、
外務大臣であったはす。


ただ、
これはあくまで国内的なもの。

中国に対しては
別スタンスだったと予想します。

その理由。

日本(ヤマト)朝廷にとって、
最大の敵は東北地方の「日本(ひのもと)」です。

本拠地は九州ながら、
軍隊は東北地方に向けられている。

中国側にその内情を探られれば、
侵略の危険性が高まるのは必至。

そこで、
邪馬台国という一大勢力をでっち上げ、
中国道教(鬼道)という奇術を操り、
民衆を手なずけている卑弥呼という女王を
作り上げた。

また、
その力を誇示するために、
何度も中国へ使者を送ったり、
卑弥呼の死に際しては、
莫大な墓で埋葬したという逸話も伝えている。


これはすべて、
中国への防衛手段とみます。


邪馬台国の場所は
中国をけん制できる「鹿児島県」。


ファイナルアンサー。


邪馬台国とは、
日本(ヤマト)朝廷が
中国からの侵略を阻止するために
でっち上げたドラマであったと結論いたします。

歴史には
正解がないと思っています。

現在も、
300年後の人には歴史です。

今でこそ、
いろいろなツールがあるので、
事実が正確に残る可能性はありますが、
いろいろなツールや発信源がありすぎて、
どれが真実かわからなくなる可能性もある。

歴史とは、
真実をあ~だこ~だと推測する学問です。

だからこそ、
いろいろな見方があって然るべき。

歴史は
ミステリー。

例えば、
本能寺の変。

歴史ミステリー好きには
定番中の定番です。

明智光秀はスケープゴート。
黒幕は他にいる。

という
ミステリでございます。

本題に入る前に、
ざっと本能寺の変をプレイバック。

-------------------------------------
1582年6月21日(天正10年6月2日)、
織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、
京都・本能寺に宿泊していた
主君信長と後継者の信忠を襲い、
自殺させたクーデターのこと。
-------------------------------------

明智さんが首謀者というのが
教科書通りの答えではありますが、

実は、
明智さんが織田さんに反旗を翻した
要因がわかっておらず、定説ではないのです。

だからこそ、
諸説が入り乱れております。

間単に諸説を列挙。

①明智光秀説
②足利義昭説
③朝廷説
④イエズス会説
⑤羽柴秀吉説
⑥徳川家康説
などなど

どの説も根拠があり、
それに対して反論もある。


しかしながら、

どの説をとっても正解は
藪の中だと思っています。

なぜなら、
過去には戻れないから。


だからこそ、
歴史ミステリは面白い。

そこで、
今回は新説を語ってみましょう。


題して、


羽柴秀吉・織田信長同一人物説


まず
秀吉から紐解いていきます。


全国を統一した人物であるにもかかわらず、
出生については、諸説があり不明な点が多い。


歴史を紐解く上で
根拠となるのは、歴史書です。

それも
公に認められた史書から
落書きレベルの私書まで、膨大にある。

その中から
自分の説に都合の良いものを選定して

「これが答えだ!」

とやるのが、
歴史ミステリーの醍醐味。

ちなみに、
公文書(正史)としての歴史書は、
時代の支配者が書かせているものだと
認識しています。

だから、

支配者にとって
都合の悪いことは書かない。


近年でも同じです。
諸外国をみても一目瞭然。


歴史は歪んでいる。

それが
歴史だと思っています。


その観点で考察してみる。


秀吉は
天下統一した支配者です。

自分の都合のよい
歴史書を作れる立場にいた。


にもかかわらず、
自分の出生、出目については、
ぼやかしている。

しかし、

本能寺の変の記述については、
秀吉様が大活躍している。

かの有名な
「中国大返し」です。


一方の
織田信長。


幼少期は、
「尾張の大うつけ」
と呼ばれ、
お馬鹿を演じていた。

といわれております。


その後、
人が変わったように
天下統一への野心を前面に出し、
猛進していきます。

そのやり方には賛否があり、
敵も多く作った。

が、

天下統一という
明確な道筋を作り、あと一歩のところ
まで迫った。

そのときに起きたのが、
本能寺の変。

幼少期はうつけを演じ、
機を逃さず行動に移し、
手っ取り早く人身掌握のできる
「恐怖」を使い、天下に迫る。

本能寺までは
非の打ち所がないほど、完璧なシナリオです。

そんな人物が、
あっけなく自害してしまった。

さらに、

その首謀者と言われた
明智光秀もあっけなく倒れてしまった。

その後、
信長の作った道を進んだのは、
羽柴秀吉こと豊臣秀吉です。

あの信長が
こんなあっさりと身を引くでしょうか?

ちなみに、

秀吉と信長は
歴史書どおりであれば、
3歳違い。

信長がお兄さんですが、
ほぼ同世代。


歴史を紐解く上で
根拠となるのは、歴史書です。

公文書(正史)としての歴史書は、
時代の支配者が書かせているもの。


だから、

支配者にとって
都合の悪いことは書かない。


近年でも同じです。
諸外国をみても一目瞭然。


歴史は歪んでいる。


ここで次回への展望です。


本能寺の変で自害をしたのは、
羽柴秀吉であり、

その後、

織田信長は、
羽柴秀吉として天下を取った。


本能寺の変の黒幕は誰か?

当方の見解では、
織田信長ということになっちゃいます。


【根拠①】
羽柴(豊臣)秀吉の出生不明および
キャラクター付けが極端


前編でも触れましたが、

全国を統一した人物であるにもかかわらず、
出生については、諸説があり不明な点が多い。


歴史書を作れる立場であり、

出生を美化したり、
「実は○○家の末裔だった」などという
脚色をしても不思議ではない。

というより、
普通は話を盛る。


出生が貧しいという設定なのは、
古代メソポタミアの王で
アッカド帝国を建国したサルゴンぐらい。

ただ、

サルゴンは、

捨て子であり、ユーフラテス川に流されていたところを
庭師に拾われたというエピソードがある。


秀吉の場合、
これといったエピソードもない。

わざと、
ぼやかしている節がある。


さらに、


秀吉のキャラクター。


信長から
「猿」「はげ鼠」などというあだ名を
つけられたり、

有名な
草履取りの時代のエピソード。


愛想がよくて機転が利いて、
憎めないキャラクター。

戦国武将の中でも
ピカ一なキャラクター付けです。

大河ドラマなどでの秀吉は、
ほぼ100%、上記のキャラです。


イメージ付けができている
キャラクターは演じやすい。


【根拠②】
信長の合理主義と演技力

信長は幼少期「尾張の大うつけ」と呼ばれ、
大ばか者を演じています。

そして、
機を見るや、

一転、
頭が冴える独裁者として、
一世を風靡する。

そのときの
キャラクターの特徴は「恐怖」。

信長の特徴として、
そのときに合致した
様々な顔を作りながら、

キャラを演じている。

そして、
ステージが上がるごとに、
キャラを壊せる能力がある。

それが自分の
アイデンティティにかかわることでも、
お構いなしです。

まさに、
究極の合理主義。


ここで
本能寺の変に戻ります。

信長目線で見てみます。

時代背景として、
天下統一まであと一歩のところ。


東を制して、
あとは西。

ここまでくれば
大名制圧は時間の問題です。

信長にとって、
一番の課題は大和朝廷との関係。


朝廷にとって織田信長は目の上のたんこぶ
以外の何ものでもありません。


大嫌い。

仮に天下統一をしたところで、
冠位など上げたくもない人物。

時代背景もあり、
大和朝廷の力は大きい。

位をもらうことで、
政治がやりやすくなるのは常識な時代。

信長にとって、朝廷に嫌われていることは
大きなデメリットです。

ただ、
織田信長としての政策上、
朝廷をないがしろにすることで、
大きくなってきた側面もある。

でも、
織田信長として頭は下げられない。

ジレンマです。

信長の野望は
天下統一ではなく、世界。


海外に立ち向かうためには、
大和朝廷を味方にする必要がある。


そのためには、
「織田信長」では障害が大きすぎる。



そこで、
究極の合理主義の発動です。


織田信長を辞める。



そのときに
白羽の矢が立ったのが、羽柴秀吉です。


秀吉は
名家出身でもない。

ある意味、
身軽であり、信長が見出した人物。


入れ替わったところで、
問題はない。


また、
当時は写真という技術もなければ、
インターネットもない。

信長の顔をマジマジとしっているのは、
側近、配下の者たちだけ。


しかも、
秀吉はキャラができている。


信長は生粋の演者。


イメージ付けができている
キャラクターは演じやすい。


信長が秀吉になった。


もちろん、
側近は気づく。

が、

あの信長が
自分のことを秀吉と言っている。

しかも、

秀吉の
キャラクターを演じている。

怖い信長ではなく、
温和な秀吉になっている。


信長が自害した直後、
織田家の家臣が集まって、討議した結果。

大将に選ばれたのは、
羽柴秀吉です。


明智光秀を討ったという手柄があったとしても、
蒼々たる良家の大名がいる中で、
秀吉が大将に選ばれるのは、合点がいかない。

唯一、反対したのが
柴田勝家です。

勝家以外は満場一致。


なぜ、
その他の武将たちは反対しなかったのか。


目の前にいる秀吉が、
織田信長だったから。


その後の展開は周知の通り。


晩年、朝鮮へ出兵したのは、
秀吉の衣を借りた信長と考えれば、
納得がいくはず。


本能寺の変とは、

信長が仕組んだ早変わりの大芝居であります。

---------------------------------

という説を提唱する上で、

①淀殿
②黒田孝高

の立ち位置に説得力がなければ
いけないと思っています。

現在、考え中です。

いずれ、ご披露いたします。