歴史には
正解がないと思っています。

現在も、
300年後の人には歴史です。

今でこそ、
いろいろなツールがあるので、
事実が正確に残る可能性はありますが、
いろいろなツールや発信源がありすぎて、
どれが真実かわからなくなる可能性もある。

歴史とは、
真実をあ~だこ~だと推測する学問です。

だからこそ、
いろいろな見方があって然るべき。

歴史は
ミステリー。

例えば、
本能寺の変。

歴史ミステリー好きには
定番中の定番です。

明智光秀はスケープゴート。
黒幕は他にいる。

という
ミステリでございます。

本題に入る前に、
ざっと本能寺の変をプレイバック。

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1582年6月21日(天正10年6月2日)、
織田信長の家臣明智光秀が謀反を起こし、
京都・本能寺に宿泊していた
主君信長と後継者の信忠を襲い、
自殺させたクーデターのこと。
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明智さんが首謀者というのが
教科書通りの答えではありますが、

実は、
明智さんが織田さんに反旗を翻した
要因がわかっておらず、定説ではないのです。

だからこそ、
諸説が入り乱れております。

間単に諸説を列挙。

①明智光秀説
②足利義昭説
③朝廷説
④イエズス会説
⑤羽柴秀吉説
⑥徳川家康説
などなど

どの説も根拠があり、
それに対して反論もある。


しかしながら、

どの説をとっても正解は
藪の中だと思っています。

なぜなら、
過去には戻れないから。


だからこそ、
歴史ミステリは面白い。

そこで、
今回は新説を語ってみましょう。


題して、


羽柴秀吉・織田信長同一人物説


まず
秀吉から紐解いていきます。


全国を統一した人物であるにもかかわらず、
出生については、諸説があり不明な点が多い。


歴史を紐解く上で
根拠となるのは、歴史書です。

それも
公に認められた史書から
落書きレベルの私書まで、膨大にある。

その中から
自分の説に都合の良いものを選定して

「これが答えだ!」

とやるのが、
歴史ミステリーの醍醐味。

ちなみに、
公文書(正史)としての歴史書は、
時代の支配者が書かせているものだと
認識しています。

だから、

支配者にとって
都合の悪いことは書かない。


近年でも同じです。
諸外国をみても一目瞭然。


歴史は歪んでいる。

それが
歴史だと思っています。


その観点で考察してみる。


秀吉は
天下統一した支配者です。

自分の都合のよい
歴史書を作れる立場にいた。


にもかかわらず、
自分の出生、出目については、
ぼやかしている。

しかし、

本能寺の変の記述については、
秀吉様が大活躍している。

かの有名な
「中国大返し」です。


一方の
織田信長。


幼少期は、
「尾張の大うつけ」
と呼ばれ、
お馬鹿を演じていた。

といわれております。


その後、
人が変わったように
天下統一への野心を前面に出し、
猛進していきます。

そのやり方には賛否があり、
敵も多く作った。

が、

天下統一という
明確な道筋を作り、あと一歩のところ
まで迫った。

そのときに起きたのが、
本能寺の変。

幼少期はうつけを演じ、
機を逃さず行動に移し、
手っ取り早く人身掌握のできる
「恐怖」を使い、天下に迫る。

本能寺までは
非の打ち所がないほど、完璧なシナリオです。

そんな人物が、
あっけなく自害してしまった。

さらに、

その首謀者と言われた
明智光秀もあっけなく倒れてしまった。

その後、
信長の作った道を進んだのは、
羽柴秀吉こと豊臣秀吉です。

あの信長が
こんなあっさりと身を引くでしょうか?

ちなみに、

秀吉と信長は
歴史書どおりであれば、
3歳違い。

信長がお兄さんですが、
ほぼ同世代。


歴史を紐解く上で
根拠となるのは、歴史書です。

公文書(正史)としての歴史書は、
時代の支配者が書かせているもの。


だから、

支配者にとって
都合の悪いことは書かない。


近年でも同じです。
諸外国をみても一目瞭然。


歴史は歪んでいる。


ここで次回への展望です。


本能寺の変で自害をしたのは、
羽柴秀吉であり、

その後、

織田信長は、
羽柴秀吉として天下を取った。


本能寺の変の黒幕は誰か?

当方の見解では、
織田信長ということになっちゃいます。


【根拠①】
羽柴(豊臣)秀吉の出生不明および
キャラクター付けが極端


前編でも触れましたが、

全国を統一した人物であるにもかかわらず、
出生については、諸説があり不明な点が多い。


歴史書を作れる立場であり、

出生を美化したり、
「実は○○家の末裔だった」などという
脚色をしても不思議ではない。

というより、
普通は話を盛る。


出生が貧しいという設定なのは、
古代メソポタミアの王で
アッカド帝国を建国したサルゴンぐらい。

ただ、

サルゴンは、

捨て子であり、ユーフラテス川に流されていたところを
庭師に拾われたというエピソードがある。


秀吉の場合、
これといったエピソードもない。

わざと、
ぼやかしている節がある。


さらに、


秀吉のキャラクター。


信長から
「猿」「はげ鼠」などというあだ名を
つけられたり、

有名な
草履取りの時代のエピソード。


愛想がよくて機転が利いて、
憎めないキャラクター。

戦国武将の中でも
ピカ一なキャラクター付けです。

大河ドラマなどでの秀吉は、
ほぼ100%、上記のキャラです。


イメージ付けができている
キャラクターは演じやすい。


【根拠②】
信長の合理主義と演技力

信長は幼少期「尾張の大うつけ」と呼ばれ、
大ばか者を演じています。

そして、
機を見るや、

一転、
頭が冴える独裁者として、
一世を風靡する。

そのときの
キャラクターの特徴は「恐怖」。

信長の特徴として、
そのときに合致した
様々な顔を作りながら、

キャラを演じている。

そして、
ステージが上がるごとに、
キャラを壊せる能力がある。

それが自分の
アイデンティティにかかわることでも、
お構いなしです。

まさに、
究極の合理主義。


ここで
本能寺の変に戻ります。

信長目線で見てみます。

時代背景として、
天下統一まであと一歩のところ。


東を制して、
あとは西。

ここまでくれば
大名制圧は時間の問題です。

信長にとって、
一番の課題は大和朝廷との関係。


朝廷にとって織田信長は目の上のたんこぶ
以外の何ものでもありません。


大嫌い。

仮に天下統一をしたところで、
冠位など上げたくもない人物。

時代背景もあり、
大和朝廷の力は大きい。

位をもらうことで、
政治がやりやすくなるのは常識な時代。

信長にとって、朝廷に嫌われていることは
大きなデメリットです。

ただ、
織田信長としての政策上、
朝廷をないがしろにすることで、
大きくなってきた側面もある。

でも、
織田信長として頭は下げられない。

ジレンマです。

信長の野望は
天下統一ではなく、世界。


海外に立ち向かうためには、
大和朝廷を味方にする必要がある。


そのためには、
「織田信長」では障害が大きすぎる。



そこで、
究極の合理主義の発動です。


織田信長を辞める。



そのときに
白羽の矢が立ったのが、羽柴秀吉です。


秀吉は
名家出身でもない。

ある意味、
身軽であり、信長が見出した人物。


入れ替わったところで、
問題はない。


また、
当時は写真という技術もなければ、
インターネットもない。

信長の顔をマジマジとしっているのは、
側近、配下の者たちだけ。


しかも、
秀吉はキャラができている。


信長は生粋の演者。


イメージ付けができている
キャラクターは演じやすい。


信長が秀吉になった。


もちろん、
側近は気づく。

が、

あの信長が
自分のことを秀吉と言っている。

しかも、

秀吉の
キャラクターを演じている。

怖い信長ではなく、
温和な秀吉になっている。


信長が自害した直後、
織田家の家臣が集まって、討議した結果。

大将に選ばれたのは、
羽柴秀吉です。


明智光秀を討ったという手柄があったとしても、
蒼々たる良家の大名がいる中で、
秀吉が大将に選ばれるのは、合点がいかない。

唯一、反対したのが
柴田勝家です。

勝家以外は満場一致。


なぜ、
その他の武将たちは反対しなかったのか。


目の前にいる秀吉が、
織田信長だったから。


その後の展開は周知の通り。


晩年、朝鮮へ出兵したのは、
秀吉の衣を借りた信長と考えれば、
納得がいくはず。


本能寺の変とは、

信長が仕組んだ早変わりの大芝居であります。

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という説を提唱する上で、

①淀殿
②黒田孝高

の立ち位置に説得力がなければ
いけないと思っています。

現在、考え中です。

いずれ、ご披露いたします。