歴史ミステリー。

歴史好き、ミステリー好きのみならず、
ドキドキワクワクしてしまう魅惑物です。

例えば、

本能寺の変の黒幕は誰なのか?
浮世絵師東洲斎写楽は誰なのか?
坂本竜馬は実在したのか?

などなど。

枚挙に暇がございません。


しかしながら、

どの問題も正解は
藪の中だと思っています。

なぜなら、
過去には戻れないから。

歴史を紐解く上で
根拠となるのは、歴史書です。

それも
公に認められた史書から
落書きレベルの私書まで、膨大にある。

その中から
自分の説に都合の良いものを選定して

「これが答えだ!」

とやるのが、
歴史ミステリーの醍醐味。

ちなみに、
公文書(正史)としての歴史書は、
時代の支配者が書かせているものだと
認識しています。

だから、

支配者にとって
都合の悪いことは書かない。


近年でも同じです。
諸外国をみても一目瞭然。


歴史は歪んでいる。

それが
歴史だと思っています。


そこで

歴史ミステリーを
色んなご意見を寄せ集めて
勝手に結論付けちゃう

という新企画を立ち上げます。


第一回目は
「邪馬台国はどこにあるのか」


卑弥呼さんが
治めていた国でございます。

有名なミステリー。

九州説や近畿説。
沖縄説にムー大陸説。

色々と激論が交わされております。


ひとまず、

基本的な時代背景の確認を致します。

当時、中国王朝から
日本は「倭国」と呼ばれており、

今で言う「日本・ジャパン」というような
正式な国名はなかった。


ちなみに、
その頃、勢力を持っていた国内団体の名前は、
「ヤマト」。

で、

外交をするのに不便ということもあり、
中国の指導および
中国漢字文化の影響を受けて
「倭」と書いて、「ヤマト」と当て字を
した国名が誕生しました。


そして国名を、
「倭(ヤマト)」から「日本」へと改名。

読みは「ヤマト」です。

この時期、日本(ヤマト)朝廷があった場所は、
九州でございます。

九州を基点として、
関西、関東と勢力を伸ばしていきます。

しかしながら、

日本(ヤマト)朝廷は
全国を統一している勢力ではなかった。

東北を中心とする一大勢力
「日本」。

「ひのもと」と読みます。


これがややこしい。
日本の中に
「日本」という漢字を書く国がふたつあった。

後の歴史書には
「日本」という記載しか残らない。

だから、
何百年もたてば、混同してしまう。


当時の日本は、
「日本(ヤマト)」と「日本(ひのもと)」の
争いが勃発していたと推測します。

さて、
その時代背景を背負いながら、
邪馬台国でございます。

邪馬台国の記述は、
中国の文献「魏志倭人伝」が由来です。

場所についても、
「魏志倭人伝」に詳細が書かれています。

当時の中国と国交があったのは、
「日本(ヤマト)朝廷」です。

その本拠地は九州。

邪馬台国というのは、
「日本(ヤマト)朝廷」の一部で
あったと解釈を致します。

今で言う、
「県」という位置づけ。

ということは、
卑弥呼は、県知事でございます。

そして、
魏志倭人伝の記述をそのまま解釈すると、
邪馬台国の場所は
「鹿児島県阿久根市」となる。

日本(ヤマト)朝廷の
本拠地である九州。

さらに、
中国との距離が近い鹿児島県。

邪馬台国とは、
日本(ヤマト)朝廷の外交拠点で
あったと見ます。

ということは、

卑弥呼は、
外務大臣であったはす。


ただ、
これはあくまで国内的なもの。

中国に対しては
別スタンスだったと予想します。

その理由。

日本(ヤマト)朝廷にとって、
最大の敵は東北地方の「日本(ひのもと)」です。

本拠地は九州ながら、
軍隊は東北地方に向けられている。

中国側にその内情を探られれば、
侵略の危険性が高まるのは必至。

そこで、
邪馬台国という一大勢力をでっち上げ、
中国道教(鬼道)という奇術を操り、
民衆を手なずけている卑弥呼という女王を
作り上げた。

また、
その力を誇示するために、
何度も中国へ使者を送ったり、
卑弥呼の死に際しては、
莫大な墓で埋葬したという逸話も伝えている。


これはすべて、
中国への防衛手段とみます。


邪馬台国の場所は
中国をけん制できる「鹿児島県」。


ファイナルアンサー。


邪馬台国とは、
日本(ヤマト)朝廷が
中国からの侵略を阻止するために
でっち上げたドラマであったと結論いたします。